初めまして。ご覧頂きありがとうございます。
あなたの無意識を軽やかに変えて
安心感に包まれる明るい未来へ導く
「潜在意識エンパシーメソッド」の
心理カウンセラー、石塚三栞(みおり)と申します。
アダルトチルドレン、HSP、毒親、自分も人も好きになれない、
自己肯定感が低く自信がもてない、対人関係の悩みが絶えない等、
人生の様々な面で生きづらさを抱えていらっしゃる方々へ
カウンセリングを行っています。
潜在意識(無意識)に眠るいらない思い込みや思考を手放して、
ありのままのあなたで輝ける、明るい未来へ一歩を踏み出してみませんか?
あなたの想いに寄り添い、心からの笑顔で幸せになれる
お手伝いをさせて頂きたいと思います。
カウンセリングでは、カウンセラーとクライアントさんとの相性、
そしてお互いの信頼関係を築くことがとても大切です。
「カウンセラーはどんな人なんだろう?」という不安を少しでも払拭し、
安心してカウンセリングを受けて頂きたいと、このプロフィールのページを設けました。
私が長年生きづらさを抱え、悩み続けてきた経験、それをどうやって克服してきたか、
どうしてカウンセラーになりたいと思ったのか?を読んで、
私のことを知って頂けたらと思います。
最初に【簡単なプロフィール】、その後に【詳しいプロフィール】を載せていますので、
お読み頂けたら幸いです。
【簡単なプロフィール】
幼少期の頃の家庭内不和、トラウマの経験、母親からの過干渉から、
「私は愛されていない」「いい子でいなければいけない」
「私の意見は否定される」「私は何をやってもうまくいかない」
などの自分を苦しめるネガティブな思考、思い込みを幼心に植え付けてしまいました。
大人になってもその思い込みを無意識に持ち続けることで、
人間関係、仕事、恋愛、お金など様々な面で生きづらさを抱えることになります。
✅まわりの顔色を常に伺い、自分の本音が言えずにモヤモヤ
✅人との距離感もつかめず、対人関係に常に悩まされる
✅自分が何をしたいのかがわからない
✅認めてもらうには我慢、無理をしてでも頑張り続けないといけない
✅自分が悪いと思うと同時に人も責めて犠牲者意識も強い
✅自分が嫌いでダメ出しを続け、なにをやってもうまくいかない。
✅そんな自分を変えたいけれど、どうしたらよいかわからない。
こんな生きづらさの悪循環が40代まで続きましたが、
心理学、潜在意識の学びに出会い、人生が180度変わりました。
自分の心の奥(潜在意識)に長年閉じ込めてしまっていた苦しみ、悲しみに
気づき、どんな自分も温かく受けとめてあげることで
全てが好転していきました。
今は潜在意識からの本当の想いを知り、軽やかに自分の人生を生きて、
穏やかで幸せな毎日を過ごせています。
【さらに詳しいプロフィールはこちら ↓ 】
声も出せない位大人しく、人見知りだった幼少期
両親と4歳下の弟、母方の祖父母の6人家族の中で育ちました。
小さい時から大人しく、内気で人見知りな子でした。
幼稚園ではいつも母親の後ろに隠れ、
小学校に入学してからは学校に行きたくないと泣いてばかり。
しばらく母親が付き添いをしてくれないと学校に行けませんでした。
幼稚園の卒園式に先生から
「三栞ちゃんの声をやっと聞けたわ~」というくらいでしたし、
小学校3年の時、初めて勇気を出して手を挙げた時には
先生から「石塚さんが初めて手を挙げました!」と驚かれ
みんなの前で大声で発表されたこともありました。
みんなに注目されるのはとても苦手。
顔を真っ赤にし、とても恥ずかしい思いをしたのを覚えています。
祖父から叱られ「愛されていない」と感じたトラウマな出来事
母の実家はお寺で、祖父が住職に就いていました。
祖父母にとって私は初孫、それなりに可愛がってもらっていたと思います。
でも、4歳下の弟が生まれると、状況が全てが変わります。
弟はお寺の跡継ぎとして大切に扱われ、
特に祖父からは目の中に入れても痛くない位、可愛がられていました。
小さな4歳の私でも扱いの差を感じるくらいでした。
ある時、祖父が縁側で赤ん坊の弟を抱っこし、哺乳瓶でミルクをあげていました。
私はお手伝いをしようと「私もミルクをあげたい!やらせて~!」と
哺乳瓶を取ろうとしましたが、祖父の手からころげ落ち、ガラスの哺乳瓶がガッシャーンと
すごい音をたてて割れてしまったのです。
祖父が顔を真っ赤にして「なにやってんだ~!!!」と
鬼のような形相で怒り、私の体をたたきました。
私はただお手伝いしたかっただけなのに、、、と
思いながら、怖さと悲しさで泣きじゃくったのを覚えています。
これは今でも思い出すトラウマのような出来事です。
大正生まれで頑固、外面はよいけれど、家では気に入らないことがあると怒鳴る祖父。
それ以来、祖父はとても怖い存在でした。
それ以降も家族は弟を大切に扱い、
ご機嫌をとって何でも好きなものを買い与えていました。
姉の私は弟と比べて「私は大切じゃないんだ、愛されていないんだ」と無意識に感じていました。
家庭内不和にいつもビクビク、そして何もできない無力感
弟が中学生になった頃から、
母や祖母から注意、叱られると急に暴れだすという
家庭内暴力が激しくなっていきました。
父は見て見ぬふり、まったく助けようとはしてくれませんでした。
そんな状況だったので、両親はケンカばかり。
父が母に暴力を振るうこともありました。
いつも泣きながら両親の間に入ってケンカの仲裁をしたり、
弟が暴れるのを止めようとしていたのを覚えています。
毎日、何か起きるのではないかと私はビクビク。
「家族みんなが仲良くしてほしい」
でも、私の力ではどうにもできない無力感で心の中はいっぱい。。。
家庭内は殺伐とした雰囲気で、心休まる居心地の良い空間では
ありませんでした。
母からの過干渉、否定され続ける悲しさ
そんな家庭環境でしたので、母はよくイライラし、
私に厳しくあたることもありました。
母は世間体を気にし、心配性で過干渉。
私のやることなすこと全てに口出し、干渉してきました。
勉強ができないと
「なんでそんなこともできないの!」
「勉強しなさい!」と言い続けて
時には鉛筆で手を刺されたりしたことも。。。
小学生の時、宿題で書いた絵に「下手くそねぇ」と言われ、
母に書き直された絵をそのまま提出したこともありました。
母に褒めてほしくて頑張ったけれど、褒めてもらった記憶がありません。。。
私は自分から、あれが欲しい!買って!と
わがままを言う子ではありませんでしたが、
当時流行った大きな襟のブラウスを買ってほしいと
珍しく自分からおねだりをしました。
でも、母からは「そんな洋服は嫌い!」と買ってもらえませんでした。
お友達のことを「あの子とは仲良くしないほうがいいわ」と言われたり、
好きで通っていた習い事のそろばん塾も
中学受験の為に辞めさせられてしまいました。
私は近くの公立中学に行きたかったのですが、
私の意思は聞き入れられず、塾に通い、中学受験をしました。
学校も母が選んだところでした。
そんな出来事が重なり
「どうせ私の言ったことは否定される」
「私の望みは受け入れてもらえない」
「私がいくら頑張っても認めてくれないんだ」
という思い込みが少しずつ私の心に植え付けられていたようです。
母の望む「いい子」を演じるしかなかった
母は、家でも学校でも問題児の弟の面倒で
手一杯だったので、
私は母の手を煩わしてはいけない、
言うことを聞く「いい子」でいなければいけないと
親やまわりの顔色を伺うようになっていたのです。
私がどうしたいか?よりも、
母がどう思うか?母が喜ぶことを選択していけばいいんだと
無意識に行動するようになっていました。
感情が出せない?本当の自分がわからなくなる
そして、悲しみや苦しみを感じないように自分の感情に蓋をし、
自分の望みを我慢してしまうクセがついていました。
その結果・・・
本当の自分が
わからなくなっていきました。
楽しい、嬉しい、悲しい、苦しいという感情はあるはずなのに・・・
叔母からは「この子はポーカーフェイスね」と言われたり、
「本気で笑ったことないでしょ?」と初対面の人に言われたこともあり、
とても傷つきました。
その時は自分がなぜ表情や感情を出せないのかもわかりませんでした。
距離感をつかめず、孤独感を強めてしまった学生時代
中学、高校の一貫校に入学してからも人との距離感がつかめず、
仲良くしたいのになぜか無意識に人に意地悪なことを言って、
相手の心を傷つけてしまったり。
自分ではそんなつもりはないのに。。。
後から、なんであんなことを言ってしまったんだろう?と
モヤモヤ悩みました。
自分でもわからない自分の心の中を
人に知られるのもとても怖くて、
自分を守ろうとする防衛反応からの行動だったのだと思います。
嫌われるのが怖いので、自分の意見を言えずに空気を読んで
まわりに合わせてしまうこともありました。
そんな中でも
明るい人気者の子と、たまたま帰る道が一緒だったこと、
犬を飼っているという共通点があり、仲良くなりました。
でも、まわりからは
「なんであんな子(私)が、金魚のフンみたいに〇〇ちゃんにくっついてるの?」と
私のことを陰で言っているのを聞き、とてもショックを受けました。
仲良くしていたその友達もある時から何も言わずに
違う子と帰るようになってしまい、私はポツンと一人ぼっち。
私の本当の気持ちを話せる友達もいなくて、
心の中でずっと孤独を感じていました。
自由になりたい!でも、母に反抗すると罪悪感が・・・
自分が何をしたいのかもよくわからない私は
将来どんな人生を歩みたいか?
夢も描けませんでした。
まわりの子達が大学に行くからという理由で
大学を受験し、
2校受かりましたが、どちらに通うのか?決めるのも
母親の意見に従いました。
大学では友達もでき、少しずつ楽しい!と思えることが増えていきました。
でも、大学に入っても母の干渉は続きます。
バイトをしたいと言っても「あんたは勉強だけしていればいいのよ!」と一言。
友達と遊びに行ったり、飲み会と言っても、門限は9時!
門限を破ると「今まで何してたのよ!!!」と烈火のごとく怒られます。
出かける度に「誰とどこに行って、何時に帰ってくるの?」と
しつこく聞かれることにうんざり。。。
母に反抗し、門限も破り、バイトも始め
自分にやりたいように行動をしはじめました。
やっと自由に好きなように行動して楽しいはずなのに、
母に反抗する自分に対して
なぜか罪悪感が湧き上がりモヤモヤしました。
就職活動で初めて味わう大きな挫折
就職活動が始まり、
どんな仕事に就いて、どんなことをしていきたいのか?
この時点でも将来を明確に思い描けませんでした。
さらに自己肯定感が低く
自分のアピールポイントもよくわからない私は
緊張して上手く話せず、面接でも苦戦します。
まわりの友人達は、早い時期からコネで内定を決めていたので、
焦る気持ちも出て、さらに空回り。
何社も落ちて、自信をますます失くしていきました。
それでも、まわりからだいぶ遅れてですが、
内定を2社から頂きました。
私が行きたい会社は反対され
「絶対こちらの会社のほうがいいわよ!」と
またもや母からの強い主張で就職先を決めることになりました。
私の存在価値って?~劣等感が深まった新入社員時代~
大学時代の同期の子達と会うと、
初任給、ボーナスの金額の違いにショックを受けます。
大手企業に就職した彼女達と比べて、私のお給料は
低く、ますます劣等感に陥りました。
「やっぱり私ってみんなに比べて能力が低いんだ、私ってダメなんだ・・・」
最初に配属された部署が
これから会社として新しい仕事を開発していくというような部署でした。
新人の私には全く仕事がなく、上司からは
「う~ん、困ったな、仕事ないから、ワープロを練習しておいて~」とか
必要のない英文の手紙を翻訳しておいて~と言われるような
仕事とは言えない内容でした。
同期の子たちが、上司や先輩から仕事を教えてもらい、
忙しそうな中でも活き活きと働いているのを横目で見ながら、
「私がここにいる意味ってあるのかな?」
「仕事のない部署に配属される私ってやっぱり期待されてないんだ」
「私は必要ない存在だよね。。。」
と更に劣等感が高まっていきます。
さらに、社会人となって新しい環境、人間関係、
満員電車での通勤、いろんな不安や緊張が重なり、
ストレスとなっていたのでしょう。
今でいう過敏性大腸症候群になり、週に何回か通勤途中に冷や汗に激しい腹痛、
という症状が出て、ひどい時はトイレから1時間も出られないような
体調不良も続きました。
モラハラ上司に我慢し続ける~トイレで泣く日々~
それから半年位するとその部署は解散することになり、
営業部署のアシスタントとしての異動を命じられます。
「やっとちゃんとした仕事ができる!」と喜んだのも束の間。
そこは今で言うモラハラ上司がいて、
私の行動を日々監視、立ち話、ムダ話しはするなと注意。
外出先から電話をしてきて
私が仕事で席を外していると、数十分電話を切らずに待ち、
「席にいないで何してたんだ?」と叱られたり。
仕事でのミスもネチネチ嫌味を言われたり、
みんなの前で激しく叱責を受けたり。
私以上に一人の男性社員が毎日のようにみんなの前で大声で
しつこいくらいに叱責されて、それを見聞きするのもとても辛かったです。
部長やまわりの方に相談しても、慰められ、励まされるばかり。
その上司は仕事ができ、営業成績をあげていた為、まわりは文句が言えなかったのです。
叱られないように上司の顔色を伺いながら、
仕事をこなしていましたが
「誰も助けてくれない、私は我慢して働くしかないんだ。。。」と
叱られる自分を責め、上司も責め、
我慢しながら、悔しくてトイレで毎日のように泣く日々でした。
それでも、私は今までのアシスタント最長記録を更新し、
4年間我慢して働き続けましたが、もう限界、退職を決意しました。
長続きしない ~やりたいこと探しの旅~
その後、
「私にしかできない仕事をしたい」
「人のお役に立つ仕事がしたい」と
私の本当にやりたいこと探しの旅が始まります。
思いつくままに
いろいろな学びをしてみましたが、
なんか違うな。。。と諦めて挫折します。
全ては「こんなことやれたらかっこいいな」と頭で思っていたことで、
私が心からやりたいことではなかった、と今だからわかります。
いろんな学びを途中で挫折、諦める自分に
「私って何をやってもダメだ。
なんで続けることができないんだろう・・・」と
自分にダメ出し、劣等感の沼に逆戻りでした。
天職に巡りあったはずなのに・・・自己犠牲で頑張り続けた結果
そんな中、昔から興味のあった整体とアロマの学校に通い、
これを仕事にしたい!とリラクゼーションサロンで働きはじめました。
お客様からたくさんの喜びの声を頂けるようになり、
それが私の喜び、やりがいになり、これは私の天職!
と初めて思えたのです。
そのうち、そのサロンでありがたいことに
チーフという役職とたくさんの指名を頂けるようになりました。
そうなると、オーナーとお客様からの評価も気になり、
売上をもっと上げなきゃいけない、
お客様から喜んでもらう為には
もっともっと頑張らなきゃいけない!と
私は自分の休憩時間も削り、
お休みの日も出勤、
夜遅くまで練習をして、
お客様への施術に日々埋没していました。
天職と思えるほど楽しく、
やりがいを感じていた仕事のはずなのに、
そのうち体も心も疲弊しきって、
サロンを辞めることになりました。
仕事を辞めて、しばらくは燃え尽き症候群のように
何に対しても全くやる気がおきませんでした。
仕事、人間関係、恋愛、お金、
全ての面において悩みながら、
気がつくと40代になっていました。
まわりの友達は結婚し、子供もいて、
仕事や趣味も充実している年代。
それに比べて、私は何をやっても中途半端で
自信が持てない。
そんな自分にますます嫌気がさしていました。
繰り返される人間関係の悩み、悪循環が止まらない
その後に働いたアロマサロンでも
人間関係の悩みが続きました。
感情の起伏が激しく、自分の言うとおりに進まないと機嫌が悪くなる店長、
私が失敗、ミスをすると強く責めてくる同僚に振り回されました。
こういうことが続くと、私のせいではないのに、
何か問題が発生する度に「私のせいかも?」と瞬時に思ってしまったり。
毎朝、職場に向かうのが辛くて苦しくて逃げ出したくなっていましたが、
NO!と言えない、人の顔色を伺ってしまう私は頑張ることしかできませんでした。
職場以外の人間関係も相変わらず。
いい人でいたいので、自分の意見を言えず、まわりの意見に合わせてしまったり、
知り合いから誘われたネットワークビジネスにNO!と言えなかったり。
ネットワークビジネスを始めたと知った友人が離れていったりもしました。
恋愛、結婚にも希望が持てずにますます落ち込む
両親のケンカをずっと見てきたせいか
元々結婚願望は強くありませんでしたが、
「早く結婚しなさい」
「結婚できない娘は世間体に恥ずかしい」
「結婚できないのは、なにかあんたに問題があるんじゃないの」と
母に言われ続けました。
母からはお付き合いした方を認めてもらえず反対されたり、
したくないお見合いを進められたり。
相手に好意は持っているのに、いざそこからお付き合いに
進もうとすると、急に怖くなり突然逃げるように離れてしまったり。
おつきあいしよう!と思っても、3人の相手から連続して振られたり。
自己肯定感が低く、自信のない私は
恋愛もなかなかうまくいきませんでした。
生きづらさのあまり、母にも暴言を吐いてしまう・・・
私はただ普通に幸せになりたい!と思って、
いつも一生懸命頑張るのに、
なんか人生って上手くいかないことばかり。。。と
思い始めるようになっていました。
人生がうまくいかない理由を探そうといろいろ調べていたその頃、
「毒親」という言葉を知り、これは私の母のことだ!と思いました。
ある時、口喧嘩になった時に母に向かって、
「私がこうなったのも、お母さんのせいだよ!」と
今までの溜め込んでいた想いを吐き出すように強い口調で責めてしまいました。
その時の母の悲しそうな涙ぐんだ顔が忘れられません。
今は「なんであんなことを言ってしまったんだろう」と
後悔の気持ちでいっぱいです。
自分へダメ出しの嵐、出口の見えない暗闇のトンネル
こんな自分はダメ、大嫌いと
ますます自分を責め、まわりを責め、
誰も私のことをわかってくれない、
でも、そんな自分を変えたい!と思っても
どうしたらよいかわかりませんでした。
自分が嫌いなので、
鏡で自分の顔、姿を見るのも苦手でした。
でも、何をどう変えたらよいか?全くわからない。
初めて、消えていなくなったら楽だろうな~という気持ちも出てきたのもその頃です。
自己啓発本を読んで、
頑張ってポジティブ思考になっても、
なかなか現実は変わらないままでした。
心理学、潜在意識の学びに出会い、希望の光が見えた!
そんな時に、
心の学び、潜在意識の学びに出会います。
信頼のおけるカウンセラーの方と出会い、
電話カウンセリングを受け、話しを聴いてもらうだけで気持ちが落ち着きました。
その後、カウンセラーの先生の講座を受けて、
潜在意識から生きれば、現実を変えていける!とわかり、
希望が見えた気がしました。
小さい頃に無意識に
自分の感情に蓋をしてしまったので、
自分の内側を見ることはとても怖いことでした。
「誰も私をわかってくれない」
と思っていましたが、
一番自分をわかっていなかったのは自分自身だったのです。
それでも、自分の内側に丁寧に向き合っていくと。。。
✅私は愛されていない
✅何をやってもダメ、自信がない
✅頑張らないと認めてもらえない
✅まわりからの評価がこわい
✅私は悪くない、まわりのせいだ
たくさんの思いこみや
思考グセがあることに気づきました。
環境や人間関係が変われば!と外側に答えを求めていましたが、
実は、答えは私の内側にあったのです!
ダメな自分を責め、更にまわりも責めるという被害者意識から、
外側を変えたい!変わってほしい!と願っていました。
そんな想いが、
長年、幸せと感じられない現実を
引き寄せていたとわかり、愕然としたのです。
初めて自分の潜在意識と繋がれた喜び
自分の潜在意識の中に眠っていた
悲しみ、苦しみに向き合い、癒していくと、
自分の中に何とも言えない安心感が
広がるのを感じられて
とめどもなく涙が溢れました。
初めて本当の私と繋がり、両想いになれたような温かい気持ちで
いっぱいになりました。
ダメな自分も、ネガティブな自分も、
どんな自分もありのまま、
受け入れてあげるだけで良かったのです。
さらに、小さなことにも感謝し、
幸せだなと思えるようになりました。
私が幼少期の頃の母、家族も今の私のように
精一杯頑張っていたんだなということがわかると、
私の中でカチカチに固まっていた気持ちが緩んでいくのを感じました。
そうすると、
家族関係も良好、人間関係も嫌な人が消え、
まわりの人が優しくなったり、
臨時収入が入ったりと、
目の前の現実が変わり始めました。
今は潜在意識からの本当の想いを知り、
軽やかに自分の人生を生きて、
穏やかで幸せな毎日を過ごせています。
ありのままのあなたが笑顔で輝く、幸せな未来へ
ここまでかなり遠回りしてきましたが、
今までの苦しかった、辛かった、悲しかった出来事も
全て私に必要な経験だったんだな、
と言えるようにまでなりました。
年齢は関係ありません!
私がアラフィフで変われたように、
あなた自身もいくつになっても変わることができます。
私は人生のハンドルを自ら握り、自分で幸せな人生を創っていく!と
強く心に決めました。
そして今、同じように悩んでいる、苦しんでいる方々の力になりたいと
心理カウンセラーの道を進む決意をしました。
全ての人がありのままで輝き、笑顔で幸せを感じられる社会の為に
幸せの輪を大きく広げていきたい、という思いで活動しています。
自分の内側を見ること、知ることは怖いかもしれませんね。
でも、もう一人で悩まないで下さい。
同じような経験をした私が、あなたの心に寄り添い
次の一歩を踏み出すお手伝いをさせて頂けたら幸いです。
アダルトチルドレン、HSP、毒親、自分も人も好きになれない、
自己肯定感が低く自信がもてない、対人関係の悩みが絶えない等、
人生の様々な面で生きづらさを抱えていらっしゃる方々へ
カウンセリングを行っています。
私の提供している
「あなたの無意識を軽やかに変える
潜在意識エンパシーメソッド」で
古い価値観、思考、いらない思い込みを手放し、
あなたの潜在意識の本当の思いに寄り添ってみませんか?
今いる場所で、ありのままのあなたが笑顔で輝く、
そんな幸せで明るい未来が待っています。
カウンセリングはお客様とカウンセラーの相性が大切です。
まずはお試しカウンセリングをどうぞ。
カウンセリングでお会いできることを楽しみにしています!